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ヴィジュアル系バンド

ヴィジュアル系バンド

ダイエースプレーで極端に髪を逆立てた「髪立て」ヘアスタイル、中世ヨーロッパの貴族をイメージした重厚なコスチューム、歌詞には、絶望・孤独・闇といったネガティブな表現はもとより、薔薇・十字架・鎖などの耽美的ゴシック言語を駆使し、バンド名に至っては特にラ行で始まるフランス語やドイツ語などを用いた難解な命名由来が目立つ。こういったものがヴィジュアル系バンドのキーワードとなるが、音楽性をカテゴライズしたものではなく「お化粧系」「耽美系」という別称からも分かる通り、視覚的な分類形式である。

渋谷系音楽

渋谷系音楽

1980年代の渋谷はパルコ、SHIBUYA109などが象徴するように若者のファッションを牽引する場となっていたが、80年代の後期にはタワーレコード、WAVE、HMVといった大規模な外資系輸入レコード店(CDショップ)の企業戦略により、主力購買ターゲット層の動向は音楽に於いても流行を全国に送り出すスタンスを持ち始めていた。

当初これらの大型店舗の販売展開は輸入盤を主軸としてきたが、メディアがレコードからCDに移行する頃からインディーズをはじめとする邦楽CDを店内にディスプレイすることで購買意欲を高め、

ガールズ・ロック

ガールズ・ロック

今では女子中学生のロック・バンドがヒット・チャートの上位を占め、バンドルという呼称もあるほどだが、日本のロック黎明期にあたる60~70年代に女性がロックを表現するということは稀有なことであった。男性主導のロック界にはじめて頭角を現した女性アーティストは「内田裕也&ザ・フラワーズ」(後のフラワー・トラヴェリン・バンド)のギター兼ボーカルの麻生レミである。麻生レミはカヴァー・ポップス時代に麻生京子の名義「ハンガリア・ロック」でデビューし、ブルー・コメッツの専属シンガーを経たGS時代には「麻生京子とブルー・ファイア」でリーダーを務め、その後に在籍したフラワーズで日本のジャニス・ジョプリンと言われたキャリアを持つ本格的な女性ロック・シンガーである。

インディーズ

インディーズ

かつて1960年代に起きたエレキGSブームの渦中にいたバンドには、ライブハウスやインディー・レーベルといった活躍の場もなく、お仕着せの意匠をまとい、商業システムに埋没する手段しか用意されていなかった。1970年代後半からのパンク・ニュー・ウェイヴを経験したアンダーグランドでは、自己表現の場を求める動向が再燃するが、その先陣を切ったのは「東京ロッカーズ」の一群だった。
1980年代に入ると、東京勢としてスターリンやゼルダ、関西ノー・ウェーブ勢のINU、非常階段が後続し、ゴジラ、エレグラフ、ピナコテカ、シティ・ロッカーなどのインディー・レーベルが誕生、

テクノ・ポップ

テクノ・ポップ

1974年にリリースされたドイツ出身のクラフトワーク「アウトバーン」はドラムマシンとシンセサイザーによるミニマリズムをロックに導入し、パンク以降のニュー・ウェイヴにテクノという概念を提示した。ミュージシャンの人的演奏テクニックを排した無機的なコンピューターソフト主導によるデジタル・シーケンサーの登場である。

日本では、冨田勲「月の光」(1974年)のシンセサイザーによる多重録音の楽曲リリース、日本で初めてハモンドオルガンを使用したゴダイゴのリーダーであるミッキー吉野が関わったローランドのシンセ開発といった電子音楽の功績があり、

パンク・ロック

パンク・ロック

1960年代に於けるアメリカのアンダーグラウンドでは、従来のロックの枠には収まりきらない新しいスタイルのバンドが誕生していた。彼らは、演奏テクニックも楽器も充分には持ち合わせていなかったが、伝えるべき自分の感情を思いのままに演奏する奔放さがあった。人種差別、泥沼化するベトナム戦争、冷戦関係といった政治思想を抱えた反社会的精神はアンダーグラウンドでうねりを上げ、1965年ニューヨークで結成されたヴェルヴェット・アンダーグラウンドによってそのフラストレーションは解き放たれた。

ニューミュージック

ニューミュージック

70年安保敗北により学生運動は沈静化に向かい、フォークの主流は政治思想から若者自らの心象風景を採りあげた抒情的な視点に移行し、吉田拓郎「結婚しようよ」(1972年/昭和47)、井上陽水「傘がない」(1972年/昭和47)、かぐや姫「神田川」(1973年/昭和48)といったヒット曲が生まれた。井上陽水のアルバム「氷の世界」(1973年/昭和48)が日本初のミリオン・セールを記録し、フォークはメジャーの階段を駈け登っていた。

1973(昭和48)年に「ひこうき雲」で本格的にデビューしたユーミンこと荒井(松任谷)由美は、はっぴいえんどの細野晴臣、鈴木茂とフォー・ジョー・ハーフの

日本ロック前史

日本ロック前史

1960年代後期は、これまでのロカビリーエレキGSで得た資産が下地になって、レッド・ツェッペリン、クリーム、ジミ・ヘンドリックスといったニューロックの旗手たちによる影響で日本の音楽文化は多様化し、既存の芸能プロ体制では収まりきらない若い団塊の世代が中心となった新しい需要が生まれ、ユース・カルチャーとしての音楽が目覚め始めた時期である。これに呼応し、ロックコンサート開催、録音システムの向上、ライブハウスの登場、専門レーベル、プロモーション会社の設立などアーティストをサーポートする側の体制が整備されていくことになるが、ロックが音楽のメイン・ストリームに進むべき道はまだ拓かれていなかった。

関西フォーク

関西フォーク

コマーシャリズムに吸収された東京のカレッジ・フォークに対して、関西では、社会の矛盾、体制への反抗といったアメリカで起きたモダン・フォークの社会背景を日本なりに再現したプロテスト・ソングが、民衆レベルの生活を源泉とする運動から派生し、フォークが日本の土壌で結実しようとしていた。関西フォークの登場である。

1967(昭和42)年、秦政明によって関西フォークの拠点となる高石音楽事務所が設立、高石友也、岡林信康、中川五郎、五つの赤い風船らが集結し、アングラ音楽祭、フォーク・キャンプ、フォーク・ジャンボリー等を精力的に展開しながら、

カレッジ・フォーク

カレッジ・フォーク

アメリカ音楽を翻訳していた1960年代の日本の音楽パノラマを俯瞰すると、一方ではロカビリー、カヴァー・ポップス、エレキ・インスト、グループ・サウンズの音源が浸透し、他方ではフォークソングの支流が静かに波紋を広げながら舞台の本流に押し寄せて、波のいただきがやがて全景を呑み込む奔流を眺望することができる。「カレッジ・フォーク」と「関西フォーク」によるモダン・フォークの台頭である。

このフォークの潮流は、アメリカで1950年代に起きたフォークソングのリバイバルまで遡る。カントリー&ウエスタンを基盤として古くから伝承されてきた民謡や民衆たちの風土からフォークソングが生まれ、ウディ・ガスリーやピート・シーガーたちに継承され、

グループ・サウンズ

グループ・サウンズ

1950年代中期からイギリスではジャズやフォークなどをベースとしたスキッフル・ブームが巻き起こり、1956年発売のロニー・ドネガン&スキッフル・グループ(LONNIE DONEGAN & His Skiffle Group) 「ロック・アイランド・ライン(Rock Island Line)」が大ヒットし、リバプールの高校生だったジョン・レノンはこのブームに触発され、ビートルズの前身バンド「クオリーメン(THE QUARRY MEN)」を結成している。

イングランド北西部に位置する港湾都市であるリバプールはロンドンよりも早く海外の文化に触れる環境にあり、アメリカ産ロックンロールの洗礼を受けたスキッフルは、

エレキ・インスト

エレキ・インスト

1960年代初頭のアメリカ音楽文化に於いて、これまで巨大資本を背景にレコード会社などがリードしてきたメディア戦略とはかけ離れた、南カリフォルニアの学生たちが中心となった大衆先行型のサーフィン・ミュージックの胎動があった。自主制作盤を経て全米ヒットを記録することになるサーファリス「WIPE OUT!」、シャンティーズ「PIPELINE」などのギター・インスト曲である。

日本のエレキ・インストブームでも同様の動きが見て取れる。ブームの源流は、ロカビリー時代を継承するジャズ喫茶に出演していたプロのバンドによる指向ではなく、

カヴァー・ポップス

カヴァー・ポップス

本家アメリカのロックンロール衰退と歩調を合わせてロカビリーも形骸化していったが、日本ポップス界のアメリカ音楽文化への傾倒は変わらず、1960(昭和35)年2月にロカビリー三人男とかまやつヒロシが一斉にニール・セダカ「恋の片道切符」を競作したことが契機となり、再びアメリカン・ポップスをカヴァーした和訳ポップスの時代を迎える。ポール・アンカや除隊後のエルヴィス・プレスリー(1960年3月)らの日本語カヴァー盤の発売と前年の1959(昭和34)年6月から放映が開始されていたフジTV「ザ・ヒット・パレード」のテレビ普及の後押しもあり、60年代前期を飾るカヴァー・ポップスの時代が幕を開いた。

ロカビリー

ロカビリー

アメリカでロックンロールは黒人ブルーズやジャズ用語のスラングとして古くから使われていたが、一般的に定着したのは、1950年代初頭に人気DJのアラン・フリードがNYの白人向けラジオ局でリズム&ブルーズ(R&B)をロックンロールと呼んだことが始まりとされる。
「リズム&ブルーズ」と「カントリー&ウェスタン」の要素融合が、ロックンロール誕生のキーワードである。R&Bをアップテンポのカントリー・ミュージックにリミックスしたビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ (BILL HALEY & THE HIS COMETS)の「ロック・アラウンド・ザ・クロック(Rock around the clock)」が1955年にヒット、

カントリー&ウエスタン

カントリー&ウエスタン

FEN(Far East Network/極東放送、現AFN)は、第二次世界大戦中に米軍兵士を激励するための放送を起源とし、終戦後の1945(昭和20)年9月から在日米軍向けに開局されたラジオ放送局である。

FENからはブギウギ・マンボ・ブルースといったアメリカ音楽が流れ、日本のポップスは、昭和初期のジャズ(洋楽)ソングブームの資産を背景としながらニューリズムの影響を受け、笠置シズ子「東京ブギウギ」(1948年/昭和23)をはじめ、元祖「三人娘」の江利チエミ「テネシー・ワルツ」(1951年/昭和26)