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茨城探訪(Whoラボ)
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桜橋の跡

桜橋の跡

桜橋は、慶長9(1604)年の水戸海道・一里塚の整備に伴う幕府の直轄工事で、慶長18(1613)年に作られ、名前の由来は中世の桜川がここを本流としていたことによると言われている。
旧桜川(川口川)は昭和初期に暗渠となり現在は道路であるが、交差点の下には明治34(1901)年に竣工した煉瓦造りの橋が埋まっている。
現在、橋の遺構親柱土浦町道路元標等が周辺に残っている。

第五十国立銀行本店跡

第五十国立銀行本店跡

昭和初期の五十銀行本店、後に常陽銀行土浦支店となる。
煉瓦造りの建物で、中城町(現中央一丁目)まちかど蔵の駐車場に建っていた。
明治11(1878)年、第五十国立銀行本店として、土浦藩士族によって創立され、大正12(1923)年に株式会社五十銀行となり、昭和10(1935)年、常磐銀行と合併して、常陽銀行となる。

保立本店

保立本店

明治2(1869)年創業の保立食堂は、中城通りでは、最も古い店(現在、六代目)のひとつで、江戸時代には、田町(現城北町)で魚問屋を経営していた。
水戸街道、土浦駅前通りと川口川の接点に位置するという地の利もあって、保立食堂は当時土浦で最も繁盛した店の一つであった。
土浦繭糸市場へ繭を売りに来た農民たちは高値で売れたときには、この店で一杯やりながら苦しい仕事の疲れを癒したという。

土浦町道路元標

土浦町道路元標

道路元標とは、大正8(1919)年に国道の始まる地点を示すため、当時の道路法にもとづいて設置された標識をいう。
現在土浦町道路元標がある場所は中城通りと亀城通りとの交差点にあり、かつて桜橋が架けられていたところにある。
桜橋は水戸街道の橋として、城下町の中心地にあったことが当時の地図から読み取れる。

亀城のシイ

亀城のシイ

この椎の木は亀城公園のお堀に面した二の丸の土塁上に立っている。
亀城のシイは胸高周は約7m、樹高は約16m、枝振り約21m、樹齢は約500年とされる県下有数の巨木である。
天然記念物のこのシイ(椎)の樹種名はスダジイ(別名イタジイ・ナガジイ)である。
スダジイは、福島県と新潟県以南の暖地に自生する、ブナ科の常緑高木で種子は食用になる。

土浦まちかど蔵「野村」

まちかど蔵 野村

江戸時代より続く商家「野村家」が明治時代より砂糖商を営んできたところで、安政7(1860) 年に建てられたものである。
母屋と袖蔵、文庫蔵、レンガ蔵を改修し、民俗資料の展示、解説、観光安内などに開放している。
母屋部分は観光客の休憩所、はた織り体験教室として利用され、二階部分は予科練関連の資料展示室となっている。

土浦まちかど蔵「大徳」

まちかど蔵 大徳

脇街道の一つであった水戸街道は江戸時代のはじめに五街道に準ずる扱いを受けて、街道の整備が進み、この地域にあった中城と東崎の2つの集落の間が結ばれて土浦宿が誕生した。
この宿場の中心が中城通りで、鉤の手にまがった地形をしており、今なお昔ながらの宿場町のある街道の名残を伝えている。
この街角に、江戸時代に建てられた商家を市が買い取り、「土浦まちかど蔵」と称し「大徳」と「野村」の2軒が向かい合って並びんでいる。

桜橋親柱

桜橋親柱

現在の亀城通りは、かつて存在した川口川を埋め立てたものである。
旧水戸街道の川口川渡河地点に架かっていた橋を「桜橋」という。
昭和10年(1935年)に川が埋め立て祇園町が誕生するまで、桜橋には船がのぼり、水陸交通が交差する地であった。
現在の亀城通りと中城通り(旧水戸街道)の交差点には「櫻橋」という文字が刻まれた桜橋の遺構がある。

不動院力石

不動院力石

不動院の境内にある有形民俗文化財の力石。

退筆塚の碑

退筆塚の碑

江戸時代後期に沼尻墨僊(ぬまじりぼくせん)の開いた寺子屋があった場所で、文久2(1862)年、墨僊の七回忌に門弟たちによって学徳を偲んで建てられた退筆塚(たいひつづか)の碑。

不動院

不動院

不動院は永享年間(1429~40)に信太荘土浦郷の豪族で土浦城主だった若泉氏により創建。
境内には指定文化財の力石がある。

琴平神社

琴平神社

琴平神社は土浦まちかど蔵「野村」の隣に鎮座し、一本の参道の左側には琴平神社の鳥居があり、右側には退筆塚不動院の山門がある。
御祭神は、大物主命。俗称は、こんぴらさま。明和2(1765)年、四国金比羅宮より分霊。
安永4(1775)年に土浦城下中城町不動院境内に社殿を建立。
文化8(1811)年に鳥居再建、天保11(1840)年に手洗鉢建造、慶応2(1866)年には御神燈・唐獅子各1対の奉納。

中城天満宮

中城天満宮

創建は年代不詳、祭神は菅原道真で、書道、学問の信仰を集めていいる。
天神社、天神宮、天満宮などと呼ばれている。中城天満宮は、通称中城の天神さまとしてよく知られている。
源頼義・義家が前九年の役の時、境内で軍馬を閲したという伝説がある。
江戸時代には、中城の駒市(馬市)が境内で700頭も馬が集まったといわれている。
4月25日の例祭に開催される書道展は有名であり、現在も続いている。

矢口家住宅(附家相図七枚)

矢口家住宅

矢口家住宅は土蔵造りで、店蔵と袖蔵、別々に建てられた奥の元蔵より成る。
旧水戸街道に面した店蔵・袖蔵の間口は合わせて七間半である。
土浦城下の土蔵造りは、天保12(1841)年の土浦大火後、瓦葺などと共に塗籠造りという防火構造として取り入れられたものである。
矢口家住宅の建築年代は、店蔵と袖蔵が嘉永2(1849)年,元蔵が慶応年間(1865~1867年)で、茨城県内に現存する土蔵造りの商家建築のなかでは特に貴重なものであリ、現在も矢口酒店として営業をしている。

桜橋跡

桜橋遺構

現在の亀城通りは、かつて存在した川口川を埋め立てたものである。
旧水戸街道の川口川渡河地点に架かっていた橋を「桜橋」という。
昭和10年(1935年)に川が埋め立て祇園町が誕生するまで、桜橋には船がのぼり、水陸交通が交差する地であった。

土浦領境界石

従是北土浦領

この境界石は、江戸時代に水戸街道に面して土浦領と他領との領界に建てられていた。
「従是北土浦領」は現在の土浦市中村に、「従是南土浦領」は中貫にあり、それぞれ塚が築かれ、その上に設置されていた。
土屋篤直の書いた『土浦道中絵図』の中にも、この境界石が描かれている。

土浦市立博物館

土浦市立博物館

土浦市立博物館は土浦城址(亀城公園)に隣接する歴史系博物館である。
「霞ヶ浦に育まれた人々のくらし」を総合テーマに、展示品を季節ごとに入れ替えながら、土浦の歴史と文化をご紹介している。「大名土屋家の文化」コーナーでは刀剣・茶道具を展示。そのほか、特別展・企画展なども開催している。

真鍋の道標

真鍋の道標

真鍋の道標は土浦一高がある真鍋坂上の水戸街道と筑波街道の分岐点にあった土浦最古の道標である。
現在は、土浦市立博物館前に移設されている。
建立は享保17(1732)年で、「右 ふちう 水戸道」(府中、現在の石岡市)「左 きよたき つくば道」(新治清滝観音)とある。