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茨城探訪(Whoラボ)
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小野小町の腰掛石

小野小町の腰掛石

この石は、平安時代の歌人として有名な小野小町が、北向観音に参詣のため山越えの途中休息したところと伝えられている。
小町はここで、一息入れて近くの沢でのどを潤し(水飲み沢)元気を取り戻して、峠を目指し(小野越え峠)無事に北向観音に詣でることができた。
しかし、帰路病を得て「小町の里」でその生涯を終えたという。この里に「小町の墓」がある。

土浦市消防出初式

一斉放水

土浦市消防出初式は正月の恒例行事である。
ウララ広場で披露される土浦鳶職組合による木遣り歌、梯子乗りといった伝統技能は集まった観客を魅了し、駅前からウララ広場前通りにかけて市内の消防団、消防自動車が次々と分列行進を行う様は圧巻である。
霞ヶ浦湖畔(川口二丁目・港町二丁目)では、消防自動車と防災ヘリコプター参加の一斉放水が行われ、川口と港町の両岸からの迫力ある放水シーンを堪能することができる。

どんど焼き

どんど焼き

どんど焼きは、小正月に行われる火祭りのことで、正月飾りである松飾りや注連縄などを一か所に集めて焼く行事のことを言う。
その呼び方は、地方によりドンド、ドンドンヤキ、サイトウ、サギチョウなどと呼ばれ、その歴史は古く、平安時代までさかのぼり、当時は主に宮中や公家による宮廷行事の一つであった。

川口運動公園

川口運動公園入口

霞ヶ浦湖畔に位置する運動公園。
陸上競技場、野球場、テニスコート、運動広場の設備がある。

観光遊覧船ジェットホイルつくば

ジェットホイルつくば

大正時代の土浦~東京間を運行していた貨客船「通運丸」の黒田留吉船長は、土浦で最後の船長と言われており、ジェットホイルつくばを就航する常陽観光株式会社の前身を成すものである。
常陽観光は霞ヶ浦初の高速観光船事業に着手した最古の老舗で、現在は水と観光に関する様々な業務を行っている。

土浦港

土浦港

土浦港は、国内第2位の面積を誇る湖である霞ヶ浦の土浦最奥部に面する。
土浦駅東口側の市街地に接近しているため、ヨットやボートと一体化した街並みを見ることができる。
土浦の港は江戸時代から栄え、明治になっても重要な交通機関は霞ヶ浦を行き来する高瀬舟であった。

港橋

港橋(駅東駐車場側)

この地は、中心市街地を東西に流れていた川口川の河口で、江戸時代から土浦と江戸を結ぶ物質の集散地として栄えた港であり、霞ヶ浦の船舶交通に重要な役割を果たした場所である。
昭和7(1932)年当時、産業都市実現のため、総工事費十二萬余円をもって土浦港の大規模な整備が行われ、合わせてこの場所に木造の太鼓橋が新設「港橋」と命名され、昭和10(1935)年に完成したものである。

日先大神道と地蔵尊の道標

日先大神道と地蔵尊の道標

中村一丁目交差点にふたつの道標がある。
右は明治5(1872)年に「日先大神道」と刻まれた日先神社までの距離を示した石標、左の小さな地蔵尊は、寛政5(1793)年のもので、市野谷(笠間市)と龍ケ崎への道標である。

川口川閘門の鉄扉と揚水ポンプ

鉄扉と揚水ポンプ

江戸時代に城下町として栄えた土浦は、桜川が霞ヶ浦に注ぎ込む河口の低地につくられた町で、町の中には中小の河川や数多くの水路や濠があった。
この地も、城や商家の物質輸送に盛んに利用されていた川口川の名残で蛇行しており、JR常磐線の線路の下からモール505を抜けて亀城公園の濠と繋がっていた。

下高津の道標

下高津の道標

下高津の道標は旧水戸街道下高津の坂の中ほど、坂東街道との分岐点にある。
享保18(1733)年に東崎町女人講の人々によって建てられ、土浦市では真鍋の道標についで古く、坂東街道がどこを通っていたかを知る貴重な標石である。
道標には「右 江戸道」「左 なめ川 阿ば道」とある。
右は旧水戸街道(江戸街道)、左は、根絡道(ねがら)(根崎、小松方面)と阿波街道(小松台、大岩田方面)に分かれていたが、現在は霞ヶ浦医療センターがあり、交通不能となっている。

西門の跡

西門の跡

土浦城防備のため松平信吉が西門を設置し、のちに小規模な馬出しが追加された。
当時は、土塁や堀があったが、現在では神龍寺の西北部墓地の一角にわずかに土塁の一部を見て取ることができる。
この西門も南門や北門と同様、明治6(1873)年の太政官布告(だじょうかんふこく)で取り壊されることになったが、新治県庁に払い下げられ、その後、新治の民家に移築されて現存しているようである。

ブリアントヴィルうしく

ブリアントヴィルうしく

牛久市商店元気づくり委員会により、2006年から始まった「ブリアントヴィルうしく」。
2010年度よりイルミネーションの点灯を開始し、東口はシャトーカミヤの雰囲気を電飾で表現し、西口は牛久沼の青や緑をモチーフに牛久駅周辺を彩っている。

トゥインクル・ナイト・モール505

筑波山と帆引船

ショッピングモール505商店会主催の「トゥインクル・ナイト・モール505」が2010年に開催された。
期間中は各種イベントの開催やイルミネーションの点灯が行われ、高架橋の柱には筑波山と帆引船が浮かび上がる。
各所に電飾を散りばめた多様なイルミネーションが飾られている。

土浦ウィンターフェスティバル

スカイリング

土浦駅西口のヒマラヤ杉やスカイリングを中心に光の輪が広がり、鮮やかにイルミネーションが演出されます。

たまき地蔵尊

たまき地蔵尊

神龍寺内にある「たまき地蔵尊」は明治6(1873)年2月の土浦市立土浦小学校創設以来在学中に亡くなられた児童・職員の霊を慰め、併せて本校児童一同のご加護をお祈りするため昭和11(1936)年9月23日、赤塚庄三郎校長時代に創設合祀されたものである。
「たまき」とはおよそ160余年前の神竜寺の住職であった大寅(だいいん)和尚という、人格高く学識深い名僧が「欠けることなく余すことなく只一輪」筆あとあざやかに書かれた教えである。

豊川稲荷

豊川稲荷

外西町稲荷は外西町(現在土浦第一中学校の角国道十字路)の小広場に郁文館の門と並立してあった豊川稲荷の分身で古くから市民は勿論東京人からも信仰を集め、新春二の午には年々太鼓の音につれ参拝者が後を絶たなかったと言われる。
当稲荷は国道新設時に神龍寺境内に移され、先ず交通安全の守り神として特に霊験があり、未だに当稲荷跡の十字路には交通事故が皆無である。

神龍寺

神龍寺

神龍寺(じんりゅうじ)は室町時代の天文元(1532)年開山と伝えられる。
江戸時代に土浦藩主土屋家の菩提寺となり庇護された。境内には火除けの力があるとされる大寅(だいいん)和尚の一筆龍、豊川稲荷たまき地蔵尊、町人学者色川三中や中城名主入江全兵衛の墓がある。
土浦全国花火競技大会は霞ヶ浦海軍航空隊殉職者の慰霊を行う目的で、大正14(1925)年、第24代秋元梅峰住職が中心となって開催したのがはじまりである。

沼尻墨僊の墓

沼尻墨僊の墓

花蔵院の不動堂裏手、民家の庭先のようなところに沼尻墨僊の墓はひっそりと建っている。
墨僊(ぼくせん)、名は一貞、通称常治(のち完蔵)、墨僊は号である。
安永4(1775)年3月15日土浦田宿町(現大手町)五香屋中村治助祐玉の第九男として生まれ、中城天神町(現中央一丁目)の町医沼尻石牛の養子となった。