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茨城探訪:寺院
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豊川稲荷

豊川稲荷

外西町稲荷は外西町(現在土浦第一中学校の角国道十字路)の小広場に郁文館の門と並立してあった豊川稲荷の分身で古くから市民は勿論東京人からも信仰を集め、新春二の午には年々太鼓の音につれ参拝者が後を絶たなかったと言われる。
当稲荷は国道新設時に神龍寺境内に移され、先ず交通安全の守り神として特に霊験があり、未だに当稲荷跡の十字路には交通事故が皆無である。

神龍寺

神龍寺

神龍寺(じんりゅうじ)は室町時代の天文元(1532)年開山と伝えられる。
江戸時代に土浦藩主土屋家の菩提寺となり庇護された。境内には火除けの力があるとされる大寅(だいいん)和尚の一筆龍、豊川稲荷たまき地蔵尊、町人学者色川三中や中城名主入江全兵衛の墓がある。
土浦全国花火競技大会は霞ヶ浦海軍航空隊殉職者の慰霊を行う目的で、大正14(1925)年、第24代秋元梅峰住職が中心となって開催したのがはじまりである。

花蔵院

花蔵院

いつごろ開山したかはっきりしないが、元文(1736~1740)の地図には既に載っている。
不動堂の裏に江戸時代の町人学者、沼尻墨僊の墓がある。
墨僊は塾「天章堂」を開き、82歳まで教育に携わった。和歌や詩文、書画に長け、天体観測も行い、「大興地球儀」を創作している。
また、同墓地には墨僊の養父沼尻石牛の墓碑や土浦藩医高野四明の墓がある。

等覚寺

等覚寺

寺伝等によれば、等覚寺(とうがくじ *等は草冠に寺、覚は旧字の覺)の前身は、常陸藤沢にあった藤沢山三教(さんごう)閣極楽寺、その開基は了信と伝えられる。
小田氏十五代氏治(天庵)の弟治算(慶円)によって、慶長10(1605)年に現在地に移り、寺号を蓮光山正定聚院(れんこうざんしょうじょうじゅいん)等覚寺と改められた。

東光寺瑠璃光殿

東光寺瑠璃光殿

東光寺は慶長12(1607)年、心庵春伝(しんあんしゅんでん)によって開かれたと伝えられる。
東光寺にある朱塗りの建物は瑠璃光殿(るりこうでん)と呼ばれる薬師堂で、市指定文化財である。
桁行(けたゆき)・梁間(はりま)とも方三間の平入りであり、桟瓦葺入母屋(さんがわらぶきいりもや)の屋根をのせる。

東光寺

東光寺

東光寺は慶長12(1607)年、心庵春伝(しんあんしゅんでん)によって開かれたと伝えられる。
境内にある朱塗りの建物で瑠璃光殿(るりこうでん)と呼ばれる薬師堂があり、市指定文化財の建造物である。
この堂前には二基の句碑が並んでいる。一つは芭蕉の句「八九間空で雨降る柳かな」で、嘉永5(1852)年の蕉翁百五十九年忌に建てられ、もう一方は、内田野帆(やはん)の句「声に身を持たせて揚る雲雀かな」である。さらに堂の左手には、乃木将軍外祖父の長谷川金太夫翁之墓の史蹟がある。

不動院

不動院

不動院は永享年間(1429~40)に信太荘土浦郷の豪族で土浦城主だった若泉氏により創建。
境内には指定文化財の力石がある。

善応寺観音堂

善応寺観音堂

善応寺境内にあり、建物は木造平屋建、入母屋、桟瓦葺(当初は土葺)匂欄(こうらん)付の浜縁(はまえん)が廻る。三軒の軒裏と急勾配の屋根をもち、向拝は平入り一間の流向拝であろ。漆喰鏝絵の妻飾りと鶴亀をあしらった懸魚(げきょ)などがある。
初建は寛文10(1670)年、土屋数直入部後に、土浦城の鬼門を守護するために建てたと伝えられる。この建物は文化11(1814)年再建のものである。木篇額「聖観音」は佐久間東雄の書である。

善応寺

善応寺

創建は南北朝以前にさかのぼる。近世になり土浦城主歴代の保護を受け、観音堂は寛文10(1670)年に土屋数直が土浦城の鬼門除けとして寄進したもので、現存の観音堂は文化11(1811)年の再建である。