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茨城探訪:土浦市
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水郷桜イルミネーション

水郷桜イルミネーション

公園を象徴する風車のイルミネーションをはじめとして、土浦市の花である桜や霞ヶ浦、市を代表する花火をモチーフとしたイルミネーションが霞ヶ浦総合公園のオランダ型風車前広場に広がっている。

風車の羽根が回転しながら点灯するイルミネーションは、全国的にも珍しく、この土浦の「風車イルミネーション」は、規模・内容とも日本最大級(高さが25メートル、羽根径20メートル)である。

土浦全国花火競技大会

土浦全国花火競技大会

毎年10月第1土曜日に開催。
大正14(1925)年、神龍寺住職であった秋元梅峯が、関東大震災後の土浦商店街の復興と親交が深かった霞ヶ浦海軍航空隊の殉職者慰霊の目的により、私財を投じ霞ヶ浦湖畔で開催したのが始まりである。
現在は、スターマインの部、10号玉の部、創造花火の部の3部門で競われ、優れた出品業者には経済産業大臣賞や内閣総理大臣賞などが授与される。毎年約70万人の見物客が訪れる、日本有数の花火大会である。

土浦の雛まつり

大徳尾形家の古今雛

土浦まちかど蔵「大徳」「野村」周辺を中心に約70ヵ所で開催される。
江戸・明治時代や現代の商家に伝わる雛人形、手作りによる色とりどりの「つるし雛」、日本一のレンコンの産地ならではのレンコンの花たくや葉を使用した「霞蓮(かれん)雛人形」、霞ヶ浦のタニシで作られた「かすみ人形」など様々な雛人形が展示されている。
また、飲食店では期間限定メニューなどを食べることができる。

小野小町の里

小野小町の里

小野小町は、平安時代の歌人で古今集等にも歌が残っており六歌仙、三十六歌仙に数えられるほど、歌に関しては秀でた人物であり、容姿端麗で宮中一の美女と称される人物であった。 
その小野小町の伝説を全国に広める目的で作られた「小町の館」。

清瀧寺

清瀧寺

坂東三十三箇所の第26番札所で、清滝観音とも称される。
真言宗豊山派の寺院、山号は南明山、院号は慈眼院。
御詠歌:我が心 今よりのちは濁らじな 清滝寺へ まいる身なれば
歴史は古く推古天皇15(607)年に聖徳太子が自ら彫りこんだ聖観音を本尊として現在の背後にある竜ケ峯に開山し、大同年間(806~810)に徳一上人によって古観音に移築されたという。

小野小町の墓

小野小町の墓

小野小町の墓(石造五輪塔)。
小野小町は、絶世の美女とうたわれた平安時代の歌人で、言い伝えによると、京都から奥州(東北地方)に旅する途中、清滝観音から北向観音(石岡市小野越(旧八郷町))へ向かいお参りしたあと病に倒れ、この地の村長、小野源兵衛氏宅で親切な介抱を受けたが、元慶7(883)年7月7日69歳でなくなったといわれている。
小野家では、小町がこの世を去って以来、例年7月7日(旧暦)の命日には、代々供養を続け、昔は近郷からの参詣者がかなりあったようである。

小野小町の腰掛石

小野小町の腰掛石

この石は、平安時代の歌人として有名な小野小町が、北向観音に参詣のため山越えの途中休息したところと伝えられている。
小町はここで、一息入れて近くの沢でのどを潤し(水飲み沢)元気を取り戻して、峠を目指し(小野越え峠)無事に北向観音に詣でることができた。
しかし、帰路病を得て「小町の里」でその生涯を終えたという。この里に「小町の墓」がある。

土浦市消防出初式

一斉放水

土浦市消防出初式は正月の恒例行事である。
ウララ広場で披露される土浦鳶職組合による木遣り歌、梯子乗りといった伝統技能は集まった観客を魅了し、駅前からウララ広場前通りにかけて市内の消防団、消防自動車が次々と分列行進を行う様は圧巻である。
霞ヶ浦湖畔(川口二丁目・港町二丁目)では、消防自動車と防災ヘリコプター参加の一斉放水が行われ、川口と港町の両岸からの迫力ある放水シーンを堪能することができる。

どんど焼き

どんど焼き

どんど焼きは、小正月に行われる火祭りのことで、正月飾りである松飾りや注連縄などを一か所に集めて焼く行事のことを言う。
その呼び方は、地方によりドンド、ドンドンヤキ、サイトウ、サギチョウなどと呼ばれ、その歴史は古く、平安時代までさかのぼり、当時は主に宮中や公家による宮廷行事の一つであった。

川口運動公園

川口運動公園入口

霞ヶ浦湖畔に位置する運動公園。
陸上競技場、野球場、テニスコート、運動広場の設備がある。

観光遊覧船ジェットホイルつくば

ジェットホイルつくば

大正時代の土浦~東京間を運行していた貨客船「通運丸」の黒田留吉船長は、土浦で最後の船長と言われており、ジェットホイルつくばを就航する常陽観光株式会社の前身を成すものである。
常陽観光は霞ヶ浦初の高速観光船事業に着手した最古の老舗で、現在は水と観光に関する様々な業務を行っている。

土浦港

土浦港

土浦港は、国内第2位の面積を誇る湖である霞ヶ浦の土浦最奥部に面する。
土浦駅東口側の市街地に接近しているため、ヨットやボートと一体化した街並みを見ることができる。
土浦の港は江戸時代から栄え、明治になっても重要な交通機関は霞ヶ浦を行き来する高瀬舟であった。

港橋

港橋(駅東駐車場側)

この地は、中心市街地を東西に流れていた川口川の河口で、江戸時代から土浦と江戸を結ぶ物質の集散地として栄えた港であり、霞ヶ浦の船舶交通に重要な役割を果たした場所である。
昭和7(1932)年当時、産業都市実現のため、総工事費十二萬余円をもって土浦港の大規模な整備が行われ、合わせてこの場所に木造の太鼓橋が新設「港橋」と命名され、昭和10(1935)年に完成したものである。

日先大神道と地蔵尊の道標

日先大神道と地蔵尊の道標

中村一丁目交差点にふたつの道標がある。
右は明治5(1872)年に「日先大神道」と刻まれた日先神社までの距離を示した石標、左の小さな地蔵尊は、寛政5(1793)年のもので、市野谷(笠間市)と龍ケ崎への道標である。

川口川閘門の鉄扉と揚水ポンプ

鉄扉と揚水ポンプ

江戸時代に城下町として栄えた土浦は、桜川が霞ヶ浦に注ぎ込む河口の低地につくられた町で、町の中には中小の河川や数多くの水路や濠があった。
この地も、城や商家の物質輸送に盛んに利用されていた川口川の名残で蛇行しており、JR常磐線の線路の下からモール505を抜けて亀城公園の濠と繋がっていた。

下高津の道標

下高津の道標

下高津の道標は旧水戸街道下高津の坂の中ほど、坂東街道との分岐点にある。
享保18(1733)年に東崎町女人講の人々によって建てられ、土浦市では真鍋の道標についで古く、坂東街道がどこを通っていたかを知る貴重な標石である。
道標には「右 江戸道」「左 なめ川 阿ば道」とある。
右は旧水戸街道(江戸街道)、左は、根絡道(ねがら)(根崎、小松方面)と阿波街道(小松台、大岩田方面)に分かれていたが、現在は霞ヶ浦医療センターがあり、交通不能となっている。

西門の跡

西門の跡

土浦城防備のため松平信吉が西門を設置し、のちに小規模な馬出しが追加された。
当時は、土塁や堀があったが、現在では神龍寺の西北部墓地の一角にわずかに土塁の一部を見て取ることができる。
この西門も南門や北門と同様、明治6(1873)年の太政官布告(だじょうかんふこく)で取り壊されることになったが、新治県庁に払い下げられ、その後、新治の民家に移築されて現存しているようである。

トゥインクル・ナイト・モール505

筑波山と帆引船

ショッピングモール505商店会主催の「トゥインクル・ナイト・モール505」が2010年に開催された。
期間中は各種イベントの開催やイルミネーションの点灯が行われ、高架橋の柱には筑波山と帆引船が浮かび上がる。
各所に電飾を散りばめた多様なイルミネーションが飾られている。