このページの先頭へ

茨城県土浦市・つくば市のホームページ制作、CMS、SEO対策、クラウド等を適正価格で提案するWEBソリューションパートナー

歌謡界の黄金律「3人ユニット」

歌謡界の黄金律「3人ユニット」

前回の魅惑のニューリズム「カリプソ」の記事に触発され、以前から気になっていた『3人ユニット』という歌謡界の黄金律を考察してみた。

歌謡曲が全盛だった昭和の時代、三人娘、ロカビリー三人男、御三家などの『3括り』のユニットが数多く活躍した。

先ずは、テレビの黎明期から遡ってみよう。

初代三人娘

『美空ひばり』『江利チエミ』『雪村いづみ』。
昭和初期のジャズ(洋楽)・ソング・ブームの資産を背景としながら、FEN(極東放送、現AFN)から流れるブギウギ、マンボ、ブルースといったニューリズムの影響を受けた戦後の日本ポップス界に、ルイ・アームストロングの来日で頂点を迎えたジャズ・ブームの渦中に誕生した『三人娘』は、歌謡界の華として活躍をみせ、のちに日本固有の歌謡曲や演歌と呼ばれる基礎を築いた。

美空ひばりは、1949(昭和24)年「河童ブギウギ」でデビュー、2ndシングル「悲しき口笛」(同名映画主演)で名声を得て、以降昭和を象徴する国民的大スター、演歌の女王として君臨。

ジャズメンの父親を持つ江利チエミは、進駐軍のキャンプ巡りを経て、キングレコードのオーディションに合格し1951(昭和26)年「テネシー・ワルツ」で世に出る。

雪村いづみも進駐軍のキャンプ巡りを経験し、日劇ミュージックホール出演中にスカウトされ、1953(昭和28)年「思い出のワルツ」でデビュー。

3人の主演映画「ジャンケン娘」(1955/昭和30)年は、空前の配給収益を上げ、「三人組」という歌謡界の黄金律を確立する。

ちなみに『初代』に対して『新』三人娘は、天地真理、小柳ルミ子、南沙織である。

ロカビリー三人男

『平尾昌章(平尾昌晃)』『ミッキー・カーチス』『山下敬二郎』。
1958(昭和33)年「第1回日劇ウエスタン・カーニバル」が開かれ、1週間で約4万5000人を動員し、熱狂的なロカビリー・ブームが到来。そのブームを象徴するスターとして「ロカビリー三人男」が生み出される。

平尾昌章は1958年「リトル・ダーリン」レコードデビューし、オリジナル曲「星は何でも知っている」「ミヨちゃん」が大ヒット。その後、平尾昌晃歌謡教室を開設する一方、作曲家として「霧の摩周湖」「よこはまたそがれ」「わたしの城下町」などを手がけ、歌謡教室の生徒、畑中葉子とのデュエット曲「カナダからの手紙」のヒット曲も残している。いまでもテレビの歌番組で審査員長として活躍する姿を見かける。

ミッキー・カーチスは1958年、クレイジー・ウエストのメンバーとして「月影のなげき」でデビュー、フジTV系「ザ・ヒットパレード」の初代司会者を勤め、ミッキー・カーチス&サムライを結成しヨーロッパツアーを敢行。その後、プロデューサーとして「ガロ」「キャロル」などを世に送り出している。近年は個性派俳優としても注目を集めている。

山下敬二郎は落語家である柳家金語楼の長男。多くのロカビリアンが歌謡曲路線に転向していく中、あくまでロックにこだわり続けた。

三人ひろし

『水原弘(後に『守谷浩』と交代)』『井上ひろし』『ヒロシ釜范(ムッシュかまやつ)』。
空前のブームとなったロカビリー旋風が吹き荒れる中、ロカビリー三人男が生まれ、彼らに続いて1958年に三人の名前が「ひろし」であることから『三人ひろし』として売り出される。パラダイス・キングの水原弘、ドリフターズの井上ひろし、ワゴン・マスターズのヒロシ釜范。守谷浩はスウィング・ウエストの専属歌手である。

水原弘は「黒い花びら」で第1回日本レコード大賞を受賞。
井上ひろしはウエスタン・バンドの「サンズ・オブ・ドリフターズ」を改名した「ドリフターズ」の専属ヴォーカルに加入後、「銀のランプ」でレコードデビュー。

守谷浩は、浜口庫之助作品「僕は泣いちっち」「有難や節」といった俗謡のナンセンス歌謡に転身。

ムッシュことかまやつひろしは、1964年に田辺昭知、堺正章、井上順等とザ・スパイダーズを結成し、「フリフリ」「ノーノーボーイ」「バン・バン・バン」等のヒット曲を生みだし、ソロワークとしても一人で多重録音したアルバム「ムッシュー」を1970年にリリース。1975年「我が良き友よ」の大ヒット、1999年には堺正章、井上尭行と「Sans Filtre」(ソン・フィルトル)結成と日本ロック界で先駆的な立場をとり続け、その活躍は衰えない。

3ビート

『飯田久彦』『高松秀晴』『柚木公一』。
一部のマスコミではロカビリー・ブームの衰退が報道されていたが、11回目を迎えた「日劇ウエスタン・カーニバル」(1960/昭和35)年は活況を呈し、「ロカビリー三人男」「三人ひろし」に続き、新鋭の三人がスリー・ビートとしてデビューした。

飯田久彦は1961年に「悲しき街角」でデビューし、続く「花咲く街角」で街角男の異名をとり、「ルイジアナ・ママ」のヒット曲で知られている。のちに日本ビクターのディレクターに転向し、岩崎宏美、ピンクレディーなどを担当。また、小泉今日子、SMAP、河村隆一等のプロデュースも担当。1999年株式会社テイチクエンタテインメント社長、その後会長に就任。

ナベプロ三人娘

『伊東ゆかり』『中尾ミエ』『園まり』。
ツイスト・ブームの渦中にデビューし、ツイスト娘といわれたボーイッシュな中尾ミエ、小学5年でデビューし天才少女と脚光を浴びた伊東ゆかり、エレガントなムードを漂わせたチャールストン娘の園まりという、初代三人娘同様にそれぞれの相違するキャラクターを持ちあわせた彼女たちはザ・ピーナッツに続けと、同じ渡辺プロ所属のトリオとして活躍した。
1962(昭和37)年放送開始のフジテレビ『スパーク・ショー』や『レッツ・ゴー三人娘』をはじめ、1963(昭和38)年上映の東宝『ハイハイ3人娘』で競演。
当初は、中尾ミエ、伊東ゆかり、沢リリ子が三人娘として売り出されたが、事務所が違ったため園まりに代わった。『スパーク・ショー』で「3人娘」としてトリオを組んだことから、スパーク3人娘ともいう。

伊東ゆかりは、バンドマンだった父親からジャズを学び、7歳から進駐軍キャンプで歌い始め、文化放送「夢のステージ」出演をきっかけに、1958(昭和33)年6月に11歳でキングレコードから『クワイ河マーチ/かたみの十字架』でレコードデビュー。その後、学業優先のためタレント活動を休止するが、1967(昭和42)年に日本レコード大賞歌唱賞を受賞した『小指の思い出』がミリオンヒットを記録。現在もミュージカルやテレビで活躍中。中尾ミエとのコンサートも話題になった。

中尾ミエは、学校の友達が内緒で応募した文化放送「QRスカウト・ショウ」出場が契機となり、渡辺プロに所属。1962(昭和37)年4月ビクターより『可愛いベイビー/カモナ・ダンス』でレコードデビューを果たし、その大ヒットで一躍スターの座に就き、三人娘の中心的役割を担う。女優に憧れていた彼女は、歌手活動と平行して、デビュー当時から『夢で逢いましょ』『ハイハイ三人娘』などの映画に主演し、その後はトーク番組やバラエティーなどで活躍中。

園まりは、1962年5月ポリドールより『ベルリンの街角で/鍛冶屋のルンバ』でレコードデビュー。レコード業界による様々なニューリズムの開拓の中、ツイストダンスの一種でジャガイモを潰すときの動きに似たステップのマッシュ・ポテトを採り入れた『マッシュ・ポテト・タイム』で脚光を浴びる。1966年から68年にかけて『逢いたくて逢いたくて』『夢は夜ひらく』『愛は惜しみなく』などが大ヒット。ミリオンセラーが続出し、園まりのムード歌謡路線を確立する。

その他

  • 三羽がらす…春日八郎、三橋美智也、村田英雄
  • 元祖御三家…橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦
  • GS御三家…ザ・タイガース、ザ・テンプターズ、オックス
  • 東芝三人娘…黛ジュン、奥村チヨ、小川知子
  • 新御三家…西城秀樹、郷ひろみ、野口五郎
  • 花の中三トリオ…森昌子、山口百恵、桜田淳子
  • 新三人娘…天地真理、小柳ルミ子、南沙織
  • NAV3人娘…三木聖子、木之内みどり、岡田奈々
  • 角川三人娘…薬師丸ひろ子、原田知世、渡辺典子
  • ロック御三家…世良公則&ツイスト、原田真二、Char
  • インディーズ御三家…ラフィンノーズ、ウイラード、有頂天
  • テクノ御三家…P-MODEL、ヒカシュー、プラスチックス
  • 渋谷系御三家…オリジナル・ラヴ、ピチカート・ファイヴ、フリッパーズ・ギター

いまでは何十人ものメンバーを抱えたアイドルグループに注目が集まっているが、昭和歌謡は3人ユニットが似合うようだ。

関連キーワード: ,
最近の関連する記事
過去の関連する記事