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日本ロック前史

日本ロック前史

1960年代後期は、これまでのロカビリーエレキGSで得た資産が下地になって、レッド・ツェッペリン、クリーム、ジミ・ヘンドリックスといったニューロックの旗手たちによる影響で日本の音楽文化は多様化し、既存の芸能プロ体制では収まりきらない若い団塊の世代が中心となった新しい需要が生まれ、ユース・カルチャーとしての音楽が目覚め始めた時期である。これに呼応し、ロックコンサート開催、録音システムの向上、ライブハウスの登場、専門レーベル、プロモーション会社の設立などアーティストをサーポートする側の体制が整備されていくことになるが、ロックが音楽のメイン・ストリームに進むべき道はまだ拓かれていなかった。

サイケデリック、プログレッシヴといったニューロックは、ゴールデン・カップスやモップスといったGSの新進バンドにも波及し、1968(昭和43)年にはロックより一足先に認知されていたフォークを足がかりに活動の場を見いだしたフォーク・クルセダーズ「帰ってきたヨッパライ」とジャックス「ジャックスの世界」にも実践されているが、日本ロックの黎明期に先鞭をつけたのは、1970年代以降の音楽シーンをリードしていく細野晴臣、松本隆、大滝詠一、鈴木茂が結成したはっぴいえんどである。

日本初のインディーズレコードURCからリリースされたセルフ・タイトルのファースト・アルバム(1970年/昭和45年8月)、続くセカンド・アルバム「風街ろまん」(1971年/昭和46年11月)は、サウンドとビートに日本語を融合させた「日本語によるロック」の試みである。この斬新なプロデュースは、英語詞で世界進出を視野に入れいていたフラワー・トラヴェリン・バンド率いる内田裕也らの「英語ロック」派と衝突し、国内初のロック専門誌「ニュー・ミュージック・マガジン」誌上での論争に発展している。

日本語・英語ロック論争を収束に導いたのは1972年に登場した矢沢永吉を擁したキャロルである。ニューロック指向の中、ビートルズ初期のロックンロールに目を向けたキャロルのシンプルさは、日本語と英語を混用した巻き舌唱法、リーゼント、革ジャンというスタイルを介してロックの大衆化に貢献を果たした。同様にロックンロール・リバイバルとして、元フォーク・クルセダーズの加藤和彦率いるサディスティック・ミカ・バンドや桑名正博が在籍したファニー・カンパニー、宇崎竜童のダウンタウン・ブギウギ・バンドなどが挙げられる。その後、矢沢永吉は日本人ロッカー初の武道館公演、「時間よ止まれ」でチャート1位を獲得、名実共にビッグスターとなり、現在もそのカリスマ性は健在である。

この時期、フラワー・トラヴェリン・バンド、クリエイション、ミッキー・カーチス&サムライのように活動の場を国外に求め、ツアー、レコーディング、レコードリリース、プロデューサー起用など海外進出の先駆けとなるアーティストの活躍が特筆できる。
ロックは様々な試行を模索していたが、商業的な成功はほとんどなかった。マイノリティーな状況がメジャー化していく過程で見られたのは、やはり繰り返されてきた歌謡曲との接近であった。「カタカナ演歌」を標榜したダウンタウン・ブギウギ・バンドの「スモーキン・ブギ」(1974年/昭和49)、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(1975年/昭和50年)がチャートの上位を占め、矢沢永吉の「時間よ止まれ」(1978年/昭和53)はCMとのタイアップ曲である。それは、1977(昭和52)年に路線転向をしたCharからはじまる、原田真二、世良公則&ツイストによる「ロック御三家」を以て、ロックと歌謡曲の境界線が払拭されることを意味していた。(2001年12月23日)

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