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カヴァー・ポップス

カヴァー・ポップス

本家アメリカのロックンロール衰退と歩調を合わせてロカビリーも形骸化していったが、日本ポップス界のアメリカ音楽文化への傾倒は変わらず、1960(昭和35)年2月にロカビリー三人男とかまやつヒロシが一斉にニール・セダカ「恋の片道切符」を競作したことが契機となり、再びアメリカン・ポップスをカヴァーした和訳ポップスの時代を迎える。ポール・アンカや除隊後のエルヴィス・プレスリー(1960年3月)らの日本語カヴァー盤の発売と前年の1959(昭和34)年6月から放映が開始されていたフジTV「ザ・ヒット・パレード」のテレビ普及の後押しもあり、60年代前期を飾るカヴァー・ポップスの時代が幕を開いた。
また、日本初のポップス専門誌「ミュージック・ライフ」を創刊した、漣健児(本名:草野昌一)氏の訳詞により、それまでの七五調作詞法から8ビートのリズムに日本語の符割りが融合し、日本語ポップスが誕生したのもこの時期である。

ロカビリー旋風の嬌声を独占したのは男性シンガーたちであったが、シャウトからメロディアスなアメリカン・ポップスの移行に伴い、カヴァー・ポップスに於いては、10代の歌姫たちの台頭が目立ち、1959(昭和34)年のザ・ピーナッツ、1960(昭和35)年の森山加代子、田代みどり、天才中学生の弘田三枝子の1961(昭和36)年、1962(昭和37)年には梅木マリ、ベニ・シスターズと女性シンガーが次々とデビューしている。男性陣は、ボーカルに坂本九を配したダニー飯田とパラダイス・キング、スリー・ファンキーズ、飯田久彦、佐々木功などが挙げられる。

1955(昭和30)年のマンボ・スタイルのブーム以来、レコード業界はニューリズムの開拓を模索していたが、最大の成功を収めたリズムは、チャビー・チェッカーの「ザ・ツイスト」の輸入を以て、1962(昭和37)年に到来したツイスト・ブームであろう。「ツイスト男」藤木孝を育て、小林旭や美空ひばりをも巻き込んで、巷では腰をひねる単純明快なダンスが浸透したが、続く、マッシュポテト、スクスク、チャールストン、ボサ・ノバが振るわず、次のムーヴメントは訪れなかった。1963(昭和38)年には、坂本九の「スキヤキ(邦題/上を向いて歩こう)」が全米のキャッシュボックス、ビルボード両誌で1位を記録したが、日本ポップス界にエポックを画す快挙には繋がらず、同年の秋頃からテレビのポップス番組打ち切りやジャズ喫茶の倒産が相次ぐ。

翌1964(昭和39)年にビートルズがアメリカへ上陸し、空前の規模で音楽業界の記録を次々と塗り替えていた。日本国内では、スリー・ファンキーズ、東京ビートルズ、クール・キャッツのローカル盤を送り出すが、リバプール・サウンドと日本語の語感は相容れず、「アメリカン・ポップス」が後退、女性シンガーたちはイタリア・フランスのユーロ系カヴァーに活路を見いだすが、押し寄せるエレキブーム、ビートルズ勢力には対抗できなかった。(2001年11月24日)

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