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私的オンライン交流変遷史

私的オンライン交流変遷史

SNSの成長とともにFacebookの友達リクエストやTwitterのフォローなどを通じてオンライン上に人と人とのつながりが生まれ、お知り合いの輪が拡がっていく。
さらにSNSはビジネスツールとしても発展を遂げ、新規顧客の獲得やお客様(ファン)との友好な関係を構築するために欠かせないソーシャルメディアとして浸透しはじめ、企業にとって新たなアプローチの場として、ますます活況を呈している。

こうしたSNSプラットフォームで展開するオンライン交流は、私個人のネット遍歴に限定した解釈になるが、これまでにもNetMeeting、Worlds Chat/J、ICQといったコミュニティを形成し、様々な人たちとの出会いを繰り返してきた。

従来のウェブサービスが生み出したコミュニケーション手法は、現在のタイムライン投稿や140文字のつぶやきとは単純には比較できないが、インターネット黎明期の頃、従量課金制が定額料金になるテレホーダイを利用して、夜中から朝方までチャットに明け暮れるほど魅力的なものだった。
この時代に対峙した世代には共感していただけるのではないだろうか。

NetMeeting

先日、外付けHDDの深淵でずっと眠っていたホームページのバックアップを見つけた。
アサヒネットに立ち上げた個人サイトのファイルで、懐かしく思いなからブラウザに表示していると、次の一文が目に止まった。

1997 2/27・・・
いつものように深夜のチャットが終わり、午前5時。
CDを止めると、私の廻りの空間は静まり返る。
この静寂に包まれたまま四角い画面に対峙すると、意識が消え始める。
見慣れた部屋の風景が溶け出し、渦を巻いて迫ってくる。
繰り返される失神の瞬間。
時折聞こえてくる車の喧噪だけが、実社会を物語るサインだ。

NetMeetingにはまっていた頃に書いたものだ。
支離滅裂な文章だが、今回のブログ記事に関連した内容だったので、恥ずかしながら転載した。

NetMeetingNetMeetingとは、インターネットを通じてチャット、ホワイトボード(お絵かき共有)、ファイル転送、アプリ共有などを行うことができる、マイクロソフト社の電子会議用のデスクトップアプリである。電子会議とは名ばかりで、開催されるのはもっぱらチャットであって、ログインユーザーリストが表示されるディレクトリサーバーを利用することで、相手を呼び出すことができた。(サイトの更新履歴を見るとNMと略していた。)

先の駄文の日付が1997年なので、Windows 95の時代までさかのぼることになる。
まだ、ホームページという言葉に定着感がなく、「どうしてホームなの?」と疑問視していた頃だ。
寝る間も惜しむほどチャットに熱中し、徹夜明けで何度会社に出勤したことか、中毒といっても過言ではない、私にとっての第一期チャットブームに位置付けされる時期でもある。

NetMeetingで一期一会の出会いを繰り返すうちに、自然と集まるようになったお馴染みの(見えない)顔ぶれとテレホタイムにリアルタイムチャット(チャットなのでリアルタイムは当たり前なんだけど)をしたり、ホワイトボードで下手な絵や落書きを共有していた。

当時最も早かったISDN回線でも128kbpsが限界だった。
常時接続ではないダイヤルアップ接続のため、特に地方の二次プロバイダー組は頻繁にネット接続が切れる現象に遭い、急に画面から消えるので「落ちたな」とお決まりのフレーズが呟かれた。
さらに低速回線は、当たり前のようにチャット画面を固まらせる。急にみんなの発言が止まったなと思っていても、それは自分だけであって、混んでいた回線がつながった瞬間、それまで停滞していた何行ものログがチャット画面に滝のように一気になだれ込んできたものだ。(この現象を「滝」と呼んでいた。)
そんなときは、フリーズしていた間にチャットは進んでしまっているので、固まる前の過去ログまで戻って、会話の空白を埋めることが習わしだった。

余談になるが、当時は会話に加わらず、発言を傍観している行為を「ROM(ロム)する」といっていた。世間一般のチャット認知度がまだ低かったことに加えて、チャット仲間の会話に割って入ることに気後れしてしまう方々が多かったのかもしれない。

毎晩何時間も会っていた見知らぬ方々、特に気のあった人たちとは多くの時間を共有し、各自が運営していたホームページや掲示板などでも交流を深めていた。
あの時の岐阜や愛媛の方々、お元気でしょうか。

Worlds Chat/J

Worlds Chat/Jそして次に登場するのが、凸版印刷が提供していた3Dチャット、WC/JことWorlds Chat/Jである。
1998年の頃にやってきた、第二期マイチャットブームである。
ログインすると、3Dチャットの世界に入り込むために用意された、複数のアバターが並ぶショーウインドウのようなアバターギャラリーが待ち受けていた。
ペンギン、レンコン状の木製人形、不思議の国のアリス、宙に浮く怪魚、金髪女性などが多数陳列されていたが、私は自分の分身をチェックのブレザーを着た白ウサギに決めていた。
アバターの頭上には背中から生えたようなプラカードが出現し、そこには自分のハンドルネームが表示され、個人の識別ができるようになっていた。

広大な宇宙空間に浮んだ2001年宇宙の旅に出てくるディスカバリー号のような形状をした宇宙ステーションにワープすると、様々なアバターたちが闊歩する不思議な3Dチャットの世界が開ける。
一度体験しただけですっかり魅了され、これまた日参することになった。

妙に真夜中の雰囲気と符合する効果音とBGMが流れる宇宙ステーション。
中央入口のハブセンター、薄暗い通路、草原の部屋、鏡の部屋などを徘徊しながら、行き交うアバターたちと立ち話のような恰好で会話を交わし、特定のアバターをクリックすると内緒話ができた。

満天の星々に囲まれた仮想空間で出会った、厭世主義で哲学者の魚さん、政治家秘書のアリスさん、同郷の怪魚さんたちを思い出す。

Yahoo!チャット

次に驚きと共に登場したのは、ICQである。
パソコン起動と同時にソフトが立ち上がるため、登録ユーザ間でパソコンをつけたことが即座に分かるようになり、すぐさまお友達にメッセージを送ることが可能になったのだ。
やがてICQの進化系ともいえるYahoo!メッセンジャー(メッセ)が台頭し、Yahooサイトのコンテンツ群と連係したことで利用範囲が飛躍的に広がることになる。私にとって最も相乗効果を生んだ機能はYahoo!チャットとの連係であった。

Yahoo!メッセンジャーいよいよ、メッセのステータス欄にチャット部屋開催を告げるお友達のメッセージが表示され始めたのだ。
この象徴的な出来事をもって、私の第三期チャットブームは全盛を迎えることになる。

2002年頃だったと記憶しているが、Yahoo!チャットルームの音楽カテゴリに「懐かしのザ・ベストテン」という部屋を発見したことが、チャット再燃のきっかけとなった。

そこはリクエスト曲を流すチャット部屋だった。
Yahoo!チャットには話す内容ごとに細分化されたカテゴリがあり、音楽カテゴリほど賑わっていた部屋はなかった。多くのユーザが、J-POP、フォーク、歌謡曲、モーニング娘。などのアイドル系、生歌などの部屋を立ち上げ、そのほとんどがリクエスに応えていた。
他のチャット部屋では味わえない、会話と音楽が融合した場であり、その中でも私のお気に入りは「懐かしのザ・ベストテン」であった。

そこは部屋名に違わず80年代の歌謡曲を中心としたリクエスト曲がかかり、それまですっかり忘れていた懐かしの曲を次々と耳にした。メディアプレイヤーなどにライブラリ化した何千、何万曲ものmp3ファイルをリクエストによって瞬時に選曲していたのだ。
再生ソフトのほかにも曲を継続して流し続けるために、チャット用の話すボタンを押しっぱなしにする「話す押しっぱなしツール」といったフリーソフトも欠かせないアイテムだった。

ほどなく部屋主さんや常連の方々とお友達登録になり、「懐かしのザ・ベストテン」開催の告知がメッセ画面に表示されると即入室し、お友達がメッセにログインしたことを知らせる「トントントン」という音がするやいなや迷惑も顧みず部屋に招待する機能を使って同室へ案内していた。

毎晩日課のように部屋に通いつめた。
いつものメンバーが揃い、あっという間に楽しいひとときが過ぎていく。
チャット終了の挨拶とともに定番のエンディング曲「布施明 – そっとおやすみ」「つのだ☆ひろ – メリージェーン」が名残惜しげにそっと流れ出し、顔文字で「おやすみなさい」を変換してログアウトする。

私的オンライン交流を駆け足で振り返ってみた。
これまでにNetMeeting、Worlds Chat/J、Yahoo!チャットといったネット上でたくさんの人たちと交流を重ね、知り合った人たちは音信不通になってしまうことが多いが、SNSや掲示板へと舞台を変えて今でもつながり続ける人たちもいる。

これからも、今までがそうであったように、様々な出会いの場が待っているだろう。

【2014年1月13日追記】
Yahoo!チャットは、2007年にYahoo!メッセンジャーへ機能が統合されていたが、そのYahoo!メッセンジャーが2014年3月26日(水)午後3時をもってサービスが終了。

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